こんにちは。
日本語ラップの元祖と言われる伝説の曲、「俺ら東京さ行ぐだ」♪。
シンガーソングライター、吉幾三さんが1984年(昭和59年)に発表しました。
1984年と言えば、日本がバブル景気へ突入する時期です。
【目次】
1.ラップ「俺ら東京さ行ぐだ」の概略と歌詞。
2.私が過ごした1968年の地方です。
3.吉幾三さんが過ごした1968年と1984年の青森県金木町です。
4.吉幾三(IKZO)ブームと、アンサーソング「NDA!(んだ!)」です。
5.朝礼には昔の写真を持参。
6.今までの投稿一覧です。
(画像引用:まっぷるトラベルガイド「懐かしの鉄道情景 ~夜行列車~ 昭和・平成に思いを馳せる旅」)
Contents
- 1 1.ラップ「俺ら東京さ行ぐだ」の概略と歌詞。
- 2 2.私が過ごした1968年の地方です。
- 3 3.吉幾三さんが過ごした1968年と1984年の青森県金木町です。
- 3.1 「俺ら東京さ行ぐだ」歌詞のウソ・ホントを伊藤さんに1つずつ聞きました
- 3.1.1 テレビも無ェ→× ラジオも無ェ→×
- 3.1.2 自動車(クルマ)もそれほど走って無ェ→○ 信号無ェ→○
- 3.1.3 ピアノも無ェ→△
- 3.1.4 バーも無ェ→○
- 3.1.5 巡査(おまわり)毎日ぐーるぐる→○
- 3.1.6 朝起ぎで 牛連れで 二時間ちょっとの散歩道→△
- 3.1.7 電話も無ェ→△
- 3.1.8 瓦斯(ガス)も無ェ→○
- 3.1.9 バスは一日一度来る→×
- 3.1.10 ギターも無ェ→○
- 3.1.11 ステレオ無ェ→○
- 3.1.12 喫茶も無ェ→○
- 3.1.13 集(つど)いも無ェ→×
- 3.1.14 まったぐ若者ァ俺一人→×
- 3.1.15 婆さんと爺さんと 数珠を握って空拝む→×
- 3.1.16 薬屋無ェ→○
- 3.1.17 映画も無ェ→×
- 3.1.18 たまに来るのは紙芝居→○
- 3.1.19 新聞無ェ→×
- 3.1.20 雑誌も無ェ→×(△)
- 3.1.21 たまに来るのは回覧板→○
- 3.1.22 俺らの村には電気が無ェ→×
- 3.1.23 ディスコも無ェ→○
- 3.1.24 のぞきも無ェ→○
- 3.1.25 レーザー・ディスクは何者だ?→○
- 3.1.26 カラオケはあるけれど かける機械を見だごとァ無ェ→△
- 3.2 「東京賛歌のウラにある、ふるさとへの愛は感じました」
- 3.3 「何にもない田舎がやっぱり大好きなんだ」
- 3.1 「俺ら東京さ行ぐだ」歌詞のウソ・ホントを伊藤さんに1つずつ聞きました
- 4 4.吉幾三(IKZO)ブームと、アンサーソング「NDA![んだ!]」です。
- 5 5.朝礼には昔の写真を持参。
- 6 6.今までの投稿一覧です。
1.ラップ「俺ら東京さ行ぐだ」の概略と歌詞。
ウィキペディアによりますと、
1985年のオリコンシングルチャートでは年間21位を記録した。オリコン発表の売上枚数は35.1万枚。
日本音楽著作権協会(JASRAC)の著作権使用料分配額(国内作品)ランキングでは、2019年度の年間9位を獲得した。
1985年の年間ヒットチャート21位。「超」は尽きませんが「大ヒット曲」ですね。
驚きますのは、発売から25年以上経った2019年であっても、著作権使用料分配額が年間9位という点です。
きっと、元祖和製ラップという点がカラオケで人気なのでしょう。
今回のブログでは、歌詞に注目します。
なお、この歌詞に描かれていますのは、発売時の1984年ではありません。
吉幾三さんが上京された1968年当時の古里(青森県北津軽郡金木町(現:五所川原市))の光景だそうです。
今から約55年前、高度経済成長で沸き立つ1968年当時の農村部の生活です。
なお、高度経済成長は、1955年頃から1973年頃まで約20年間続きました。日本がモノづくりで世界を席巻した時代です。
まずは、歌詞をどうぞ。
テレビも無ェ ラジオも無ェ 自動車(くるま)もそれほど走って無ェ
ピアノも無ェ バーも無ェ 巡査(おまわり)毎日ぐーるぐる
朝起ぎで 牛連れで 二時間ちょっとの散歩道
電話も無ェ 瓦斯(ガス)も無ェ バスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭(ぜに)コァ貯めで 東京でベコ飼うだギターも無ェ ステレオ無ェ 生まれてこのかた 見だごとァ無ェ
喫茶も無ェ 集(つど)いも無ェ まったぐ若者ァ 俺一人
婆さんと 爺さんと 数珠(じゅず)を握って空拝む
薬屋無ェ 映画も無ェ たまに来るのは紙芝居
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭(ぜに)コァ貯めで 東京で馬車引ぐだディスコも無ェ のぞきも無ェ レーザー・ディスクは何者だ?
カラオケは あるけれど かける機械を見だごとァ無ェ
新聞無ェ 雑誌も無ェ たまに来るのは回覧板
信号無ェ ある訳無ェ 俺らの村には電気が無ぇ
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭(ぜに)コァ貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭(ぜに)コァ貯めで 東京でベコ飼うだ
以下は、YouTube動画です。
歌詞は、いかが感じられましたでしょうか?
1968年という年代よりも、お育ちになった地域による違いが大きいかもしれません。
Wikipedia→ 「あの日あの時 1968年」
2.私が過ごした1968年の地方です。
次に、私が住んでいました地域の1968年(昭和43年)頃の様子を吉幾三さんの歌詞と対比してみます。
子どもだったときの記憶ですので、少し怪しいとは思います、、、。
まずは、育った町の説明を簡単にします。
私が育った町は人口3万。
県庁所在地まで列車(国鉄)で20分でした。
駅から数キロ離れた自宅は、田んぼの中にポツポツと立ち始めた新興住宅にありました。
商店街から1キロ程度離れたところです。
私が住んでいました地域の1968年(昭和43年)頃の様子です。
テレビも無ェ ラジオも無ェ
→テレビはほぼありましたが、役所の前にテレビが設置されていました。カラーはまだ少数派。ラジオはありました。ピアノも無ェ
→ハイカラなお家のお嬢様は習っていたかも。習字教室、そろばん教室、絵画教室がありました。自動車(くるま)もそれほど走って無ェ
→クラスの同級生40世帯中、2~3軒に車があったかもしれません。牛連れで 二時間ちょっとの散歩道
→牛は見ません。馬は歩いているのを数回見ました。ウンチをしたら、もみ殻を上にまいていました。電話も無ェ
→電話の有無は半々だと思います。設置希望は電電公社(現NTT)に申請しますが、順番が回ってきませんでした。瓦斯(ガス)も無ェ
→ガスはプロパンがありましたが、暖房用にはこたつが主です。風呂はまきで焚いていました。バスは一日一度来る
→現在よりも路線と本数が多かったです。今は車の普及でバスがなくなり、町が福祉バスを運行しています。ステレオ無ェ
→ステレオではなく蓄音機は結構普及していました。ステレオブームは1970年代から。 おススメのサイト→「金沢蓄音機博物館」婆さんと 爺さんと 数珠(じゅず)を握って空拝む
→日の出と山々を自宅前から拝む父の姿を見たことがあります。喫茶も無ェ 集(つど)いも無ェ
→娯楽がないから喫茶店は多かったと推測。集いは、地域ごとの青年会や老年会が今よりも盛んだったと思います。薬屋無ェ
→置き薬が中心でした。薬局へ言った記憶が無いです。映画も無ェ たまに来るのは紙芝居
→映画館は戦後数軒ありましたがテレビ普及ですべて廃業。巡回映画が学校で年に一回上映されました。紙芝居屋さんは見たことがないです。ディスコも無ェ
→盆踊りは各地域ごとにあり、踊っていました。雑誌も無ェ
→本屋さんに予約しておくと、取り置きしてもらえました。貸本屋も残っていていました。信号無ェ ある訳無ェ
→校区の道に初めて信号機がついた時、先生とクラス皆で交差点を渡る練習に行きました。そもそもアスファルトの広い道自体が少なかったです。俺らの村には電気が無ぇ
→電気はどの家にもついていましたよ。
3.吉幾三さんが過ごした1968年と1984年の青森県金木町です。
以下に「ねとらぼアンサー(2017年7月20日)」を引用します。
「吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞は結構ホントだった! 当時の様子を知る人が“答え合わせ”してみると……
ならば! と、「吉幾三さんのふるさと、当時のホントの姿はどうだったの?」を聞いてきました。インタビューに答えてくれたのは、金木町ご出身で金木商工会にお勤めで吉さんより1歳下の63歳、伊藤さん。
吉さんが育った金木町。さらに詳しくいうと、中心部から2キロ離れた農村地帯・旧嘉瀬村地域にお住まいだったそうです(昭和30年に金木町へ吸収合併)。そこで1967~1968年ごろの金木町(および嘉瀬地域)のことについて聞きました。
嘉瀬駅の様子(2007年)Photo by Songsknowさん/cc by-sa 3.0「俺ら東京さ行ぐだ」歌詞のウソ・ホントを伊藤さんに1つずつ聞きました
(以下、伊藤さんの体験による見解になります)
テレビも無ェ→× ラジオも無ェ→×
「当時からテレビもあったし、ラジオもあった。カラーテレビも既に出ていたが、ちなみにウチは白黒テレビ」
(ただし吉さんの家は、吉さんいわく「町一番の貧乏家庭」だったそうで、本当にテレビもラジオもなかったとか。つまり金木町というより、吉さん宅の事情だったよう)
母せるさんと、吉幾三さん<出典:吉さんの著書『酒よ、歌よ、津軽(徳間書店)』>自動車(クルマ)もそれほど走って無ェ→○ 信号無ェ→○
「確かに車はあまり走ってなかったし、信号もなかった。車の往来が少ないので、金木町の中心あたりの交差点も信号はなかったが、大丈夫だった」
ピアノも無ェ→△
「学校にはアップライトピアノがあったが、おうちにあるのは見たことがない。ピアノなんかを習っている人はいなかった」
バーも無ェ→○
「しゃれたバーなんてものはなかった。「一杯飲み屋」はあったが、カウンターと小上がりがあるくらいの小規模のものばかりだった」
巡査(おまわり)毎日ぐーるぐる→○
「本当に事件らしい事件はなかった。おまわりさんも平和に散歩しているような感じだったと思う」
朝起ぎで 牛連れで 二時間ちょっとの散歩道→△
「『牛』でなく『馬』ならよく見た。田んぼの道を散歩させているところ。農耕馬は田んぼをおこすのに当時はまだ使われていたので。牛を散歩させるところもほんの少し見たことがあるが、馬のほうが一般的だった」
電話も無ェ→△
「多くの家には電話がなかったので、よそに電話を借りに行くことが多かった。私の家にもなかったので、よそヘ借りに行っていた。電話交換手を通して、電話料金を教えてもらえるスタイルで、その都度料金を電話主に払っていた」
川倉山ノ神古墳そばの様子。自然が多く残る<出典:『金木郷土史』>瓦斯(ガス)も無ェ→○
「確かにあまりにプロパンガスは普及していなかった。かまどや薪ストーブを使っていた」
バスは一日一度来る→×
「一日一度っていうことはなかったはず。午前2本、午後2本などだったのでは。ちなみに今も1日3度くらい。ただ、当時の金木町よりもっと田舎のところはあったので、そこではバスが1日1度というのもあったと思う」
ギターも無ェ→○
「『ギター』はほとんど見なかった。持っている人はとても少なかったはず。当時のグループサウンズなどの歌をテレビで目にするにしても、ギターは持っていなかった。隣の五所川原市には楽器店があったので、それを吉さんたちもうらやましく見ていたのでは」
(ただ、吉さんの父親は民謡歌手のため、家にギターやバイオリンはあったそうです)
ステレオ無ェ→○
「ステレオもない家が多かったはず。当時はかなりお金持ちの趣味人しか買えなかった。五所川原市に行くと電気店があったので、それをショーウィンドウでうらやましく眺めていた金木町民も多かったと思う」
喫茶も無ェ→○
「金木町に喫茶店はなかった。初めてできたのは昭和40年代後半だが、それも1店だけだった」
集(つど)いも無ェ→×
「みんなが集まる『劇場』はあった。映画やお芝居やのど自慢コンクールなど、いろいろイベントをやる場所だった。さらに青年団や消防団もあった。ただ少年野球チームのようなものはなかった(中学以上の部活はあった)」
吉さんは陸上部で棒高跳びをしていたが、当時既に一般的だったグラスファイバー棒がなく、竹で飛んでいた<出典:吉さんの著書『酒よ、歌よ、津軽(徳間書店)』>まったぐ若者ァ俺一人→×
「さすがにこれはない。むしろ今より若者は多かった。ただ、若い人が働き手として都会へいっぱい出ていってしまうのは当時からあったので、その寂しさを歌詞に込めたのかも……」
婆さんと爺さんと 数珠を握って空拝む→×
「実際に空へ向かって拝んでいたことはない。だが自然相手の農村は、作物を育てるのにお天道さまへ拝んでいたので、それを言っているのかもしれない」
薬屋無ェ→○
「薬屋はなかった。当時は置き薬の時代だったこともあるが」
映画も無ェ→×
「前述の『劇場』で、映画も上映されていた」
たまに来るのは紙芝居→○
「紙芝居は“たまに”どころでなく毎日来ていた。神社の境内に紙芝居屋が来て、水アメや型抜きなどを売っていた。子どもたちの楽しみの1つだった」
新聞無ェ→×
「新聞はあった。当時から新聞少年らが東奥日報を配達してくれた。ただ、お金がなくて購読できない家庭もあった」
雑誌も無ェ→×(△)
「本屋は金木町に一軒だけあった。ただ、嘉瀬地域にはない。今より雑誌自体が少なかったがマンガ誌の少年マガジンや少年サンデーなどはあった」
たまに来るのは回覧板→○
「地域の連絡手段としてあった」
俺らの村には電気が無ェ→×
「さすがに電気はあった。ただ、金木町より田舎の『山間部の開拓村』では、まだ電気の通っていない地域はあったと思う」
奴踊りの様子<出典:『金木郷土史』>
続いて以下の数項目は、曲の舞台が楽曲が発表された1984年当時になっているようなので、1984年当時の金木町を基準に検証します。
ディスコも無ェ→○
「もちろんない」
のぞきも無ェ→○
「風呂屋さんはあったが、のぞき部屋のような風俗店は今も昔も全くない」
【訂正:2017年7月20日午後1時40分】記事初出時、「のぞき事件があったことなどは把握していない」と記述していましたが、「“のぞき”とは当時の風俗店のことでは?」との指摘を受け、あらためて伊藤さんに確認を取り、上記の通り訂正しました。
レーザー・ディスクは何者だ?→○
「84年当時でも金木町では全然普及していなかったはず」
カラオケはあるけれど かける機械を見だごとァ無ェ→△
「8トラックカラオケはあったし、見たことはあった」
いかがでしょう。思ったよりも、かなり「○」が多かったのではないでしょうか。さすがにオーバーに歌っていた部分もあったようですが、あの歌詞にはホントの部分も実は多かったのです。
「東京賛歌のウラにある、ふるさとへの愛は感じました」
ここまで歌詞の一問一答にお答えくださった伊藤さんに、こぼれ話を聞きました。
――「俺ら東京さ行ぐだ」を初めて聞いたとき、どう思いましたか?
伊藤さん:衝撃的でもあったし、歌詞そのものが、逆に笑えました。さすがにこんなはずはないと思っていました。当時は歌詞の舞台の多くが1967~68年ごろであることを知りませんでしたので。
――「俺ら東京さ言ぐだ」をご自身で歌ったことはありますか?
伊藤さん:東京で行われた青森県出身者の結婚式余興で、ギター弾き語りで歌いました。すごくウケましたよ。
――「俺ら東京さ行ぐだ」のメッセージを聞いてどう思われましたか?
伊藤さん:吉幾三さんと同じように金木町民は、みんな東京にあこがれていたと思います。悪いですが仙台などには目もくれず、東京に目が向いていましたね。出稼ぎ場所ももっぱら東京でしたから。それと同時に……東京賛歌のような歌詞のウラにある、「金木町への愛情」も強く感じました。それは分かりましたよ。
「何にもない田舎がやっぱり大好きなんだ」
吉さんは語っています。
何もかも遅れていたが「それはそれで良かった。いまのようにモノがいっぱいあって、不自由な思いをしない子どもたちが、果たして幸せなのかどうか」
<出典:吉幾三さんの著書『酒よ、歌よ、津軽よ(徳間書店)』>
モノがあるのが幸せか、それともないほうが幸せなのか。答えは出ませんが、吉さんはこうも言っています。
「確かに田舎には何もないよ。でも東京には山ねえだろ、ベゴ(牛)ひけねえだろ。それぞれ、あるもの、ないものがある。何にもない田舎が、おれはやっぱり大好きなんだ」
<出典:朝日新聞 2008年11月29日号 日曜別冊版>
4.吉幾三(IKZO)ブームと、アンサーソング「NDA![んだ!]」です。
Wikipediaによると、
2008年4月頃から、ニコニコ動画やYouTubeなど動画共有サイトを中心に、他のアーティストの楽曲とこの曲のマッシュアップや、この曲自体のリミックスやパラパラがブームとなった。
同年10月1日には「上京した主人公が、親に忠告された言葉を思いだす」という設定で書かれた、吉自身の作詞作曲によるアンサーソング「NDA![んだ!]」(徳間ジャパン、TKCA-73354))が発売された。
2011年11月30日、元・光GENJIの諸星和己が「俺らなんにもね〜」(BOLD RECORDS/PINK A ROCK RECORDS、BOLD-0201)のタイトルで現代風にアレンジカバー。この曲は「俺ら東京さ行ぐだ」の続編という位置づけで、都会の荒波に飲み込まれ自分を見失ってしまった田舎者の悲哀を歌っている。作詞は諸星が手がけ、歌うにあたって諸星が吉を7年がかりで口説いたという。
2019年9月12日、吉は音楽配信にて全編津軽弁の歌詞のラップ「TSUGARU」をリリースした。同曲は「俺ら東京さ行ぐだ」の流れを直接汲んだ楽曲であると認知されている。Youtubeで公開された公式MVが2週間で200万再生を超えるなど好評だった事から、同年10月30日にはCDリリースも行われた。
とのことです。
吉幾三さん、ご活躍ですね。
以下はご参考まで。
・YouTube動画→ 「俺らなんにもね~ 諸星和己」
・YouTube動画→ 「NDA! んだ!(吉幾三)Cover Song by leonchanda」
・YouTube動画→ 「吉幾三「TSUGARU」MV(2019年9月12日配信リリース)」
5.朝礼には昔の写真を持参。
朝礼では、昔の写真を参加者の皆さんにご覧いただくと良いでしょう。
多くの方は、写真や当時の生活を懐かしく思い、会話がはずむと思います。
あなたの職場の昔の製品やサービスを提示なさっても良いでしょう。
上司に話を振り、昔の手柄話や苦労話をしていただきましょう。
6.今までの投稿一覧です。
トップ画面(最新ブログ)は、こちらです。→ 「昭和オジサンが謎を基に、スピーチのネタをアドバイス」
81.「俺ら東京さ行ぐだ」。吉幾三さんの歌詞と1968年の地方を比べた(2022年3月17日)
80.虚無感から脱け出るヒントとなる映画(2022年3月14日)
79.クラシックスターが現代にやって来る。 ヤァ! ヤァ! ヤァ!(2022年3月11日)
78.引きこもる力(2022年3月7日)
77.カーリング女子報道について(2022年2月21日)
76.ソフホーズとコルホーズ(ソ連の農場形態)を覚えていますか?(2022年2月17日)
75.若者言葉から現代を知る。2022年2月15日
74.将棋棋士とプロ野球選手の年俸2022年2月9日
73.「空想地図」からマーケティングのヒントを得る2021年11月22日
72.電波時計の仕組みを利用して新たな利用方法を考える2021年11月4日
71.遠距離恋愛が、昔は困難だった理由2021年10月8日
70.映画から、どんな季節が思い浮かびますか? 2021年7月12日
69.地名が季語になったらいいな。物でも人でも季語にしてみよう。 2021年7月8日
68.九九の話 お願いがあります。 2021年6月18日
67.日本の大きさに驚いた。 2021年5月21日
66.古典(例えば徒然草)をスピーチに 2021年4月13日
65.エスニックジョークをスピーチに使ってみましょう。 2021年3月30日
64.用途という判断基準を捨てて、自社の商品・サービスのカテゴリーを見直すスピーチを! 2021年3月25日
63.小道具を使って、スピーチを行う・・・週刊文春がつい気になります 2021年3月18日
62.お好きな歌詞や詩でスピーチを。オードリー・タンさんと福島の若者との交流を例に。 2021年3月12日
61.地域の魅力ランキングを「スピーチ」で語る 2021年3月10日
60.言語を例に:思い込みを捨ててみると真実が見えてくる。 2021年3月9日
59.「化」を付ける面白さ 2021年2月1日
58.ぴえん・・・新語2020 2020年12月10日
57.「釣り」の新しい意味 2020年12月2日
56.何かを介在させて、人とコミュニケーションを持つ。「スピーチのネタ」 2020年12月1日
55.累進課税と似ていることを日常から探す。「スピーチのネタ」 2019年10月30日
54.ラグビーワールドカップならば試合以外を書く。「スピーチのネタ」 2019年10月7日
53.自分の匂いに気づけないのはどうして? 「スピーチのネタ」 2019年9月13日
52.円グラフと帯グラフの時間(前ブログの続き) 2019年9月9日
51.円グラフ派? 帯グラフ派? スピーチのネタ「哲学的なことを語るとき」 2019年9月4日
50.居酒屋一軒分の予算は? スピーチのネタ「金銭に関する事柄は注意!」 2019年8月28日
49.恋は不思議♪ 朝礼スピーチのコツ「個人的な不思議・疑問を語る」 2019年8月22日
48.オリンピック・パラリンピック 朝礼スピーチのコツ「数字を添えて」 2019年8月21日
47.映画『ジョン・ウイック』のキメ方 スピーチのコツ「聞き手に負担を与えない」 2019年8月20日
46.髪型の強制は嫌だ! スピーチのコツ「マイナス言葉で締めない」 2019年8月8日
45.宇宙人ジョーンズの地球調査 スピーチのネタ「宇宙人になってみる」 2019年8月7日
44.お尻も洗ってほしい スピーチのネタ「宣伝コピーをヒントに」 2019年8月5日
43.1秒とは? スピーチのネタ「同じ1秒でも場面によって人によって価値が異なる」 2019年7月31日
42.今すぐにでも実現する夢 スピーチのネタ「夢を2種類つくる」 2019年7月30日
41.温度の0度は、何が基準? スピーチのネタ「日常を振り返る」 2019年7月29日
40.スピーチは、評価でもなければ競争でもない スピーチのネタ「自分らしさ」 2019年7月29日
39.選挙演説の上手い下手 スピーチのネタ「今のことを必ず取り入れる」 2019年7月26日
38.湘南ソング スピーチのネタ「地域を話題にする」 2019年7月22日
37.あなたを見守ってくれる方はいますか? スピーチのネタ「メンターの存在」 2019年7月19日
36.東京ドーム〇個分の例え スピーチのネタ「比較するときは原点を明確に」 2019年7月12日
35.神は細部に宿る スピーチのネタ「小さなことに心を込める」 2019年7月10日
34.野球を絵画で観る スピーチのネタ「人によって、何ごとも違って見える」 2019年7月9日
33.今どきの教科書 スピーチのネタ「自分の過去と現代との比較」 2019年7月4日
32.今日からスマホ、デビュー スピーチのネタ「相手の関心事に絞って話す」 2019年7月2日
31.PC履歴の削除 スピーチのネタ「捨て去り、最後に残ったもの」 2019年6月28日
30.ハンドルを握る位置 スピーチのネタ「思い込みに気付いたら」 2019年6月27日
29.身長の差 スピーチのネタ「キリンと猫の視点」 2019年6月26日
28.本当にそうだろうか? スピーチのネタ「平穏な日常を疑ってみる」 2019年6月25日
27.数字の便利な読み方 スピーチのネタ「大きな数字は、身近なものに置き換えて」 2019年6月21日
26.コンンビニに何を求めますか? スピーチのネタ「コンビニを通して需要を喚起」 2019年6月19日
25.カラスと会話 今日のカクテル「心霊写真」 2019年6月18日
24.英単語が聞き取れた! 今日のカクテル「2020東京オリンピック」 2019年6月14日
23.音が撮れるチェキの技術を現場に応用したい 今日のカクテル「魔法」 2019年6月13日
22.京都の「田の字」エリア 2019年6月12日
21.伝統産業とパッケージ 今日のカクテル「パッケージ」 2019年6月11日
20.引きこもり100万人の居場所。 今日のカクテル「居場所」
19.バー「山小屋」のマスターへ 今日のカクテル「将棋指しのマティーニ」
18.洋画「シャイプ・オブ・ウォーター」の交流 今日のカクテル「水の形」
16.『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉) 今日のカクテル「悲しみ」
15.Beatlesを目指した日本のグループ 今日のカクテル「ビートルズ」
14.思春期に自分を支えてくれた本 今日のカクテル「思春期」
13.カクテルのコンテスト(コンペ) 今日のカクテル「修行」
8.国の借金が1103兆円(国民一人当たり約874万円) 今日のカクテル「計算と名称のトリック」
6.エスカレーター、歩きますか? 今日のカクテル「セッカチ」
2.悩ましい、ドリンクの値段設定 今日のカクテル「プライス」
1.世界には不思議がたくさんある! 今日のカクテル「ザ・格言」