こんにちは。
今日は朝から日が照り付けています。
昼は30度を超えそうですね。
今回は、「本当にそうだろうか?」というフレーズについて記します。
たいていの事柄は、真偽があきらかではない
私たちの周囲を見渡すとき、新聞やサイトの意見を読むとき、
そこにある事項は、だいたいは真偽がはっきりしていないことが多いものです。
まずは、最近の国際ニュースを例に挙げます。
「米軍偵察機(無人ドローン)をイランが撃墜した場所は、公海上なのか、あるいはイラク領内なのか?」
こんなに大きな事柄すら真偽がはっきりしていないのですから、日常的に起きる事柄は、何が真実なのかわかりません。
次は、健康について。
「コーヒーは胃に悪い」がいつの間にやら「適度な量ならば、コーヒーは胃がんを防ぐ」に変化しました。
どちらが正しいのか、私には皆目見当がつきません。
NHKの健康バラエティー番組「ためしてガッテン」の内容も真偽が定かではありません。
科学的な医学の分野ですらわからないことだらけですから、科学以外の領域については、人によって評価が異なりますね。
不確かな世界で生きている
まさに私たちは「不確かなことで満ち溢れた世界(社会)」に生きていることになります。
「そんなことは法律で決まっている」と言われてはいますが、法律は解釈によって異なった判決が下りることもあります。
「そんなの、常識だろう」は、一番怪しい論理です。
そう仰る個人の人生観を語っているに過ぎないことが多いです。
「見た」「聞いた」「〇〇に決まっている」「必ず」、、、、。
世間には、怪しい言葉が満ち満ちていますね。
しかしながら、私たちはこのような不確かな世界で生きざるを得ません。
一つ一つの真偽を確認することなく、流れるように生きています。
逆に申せば、真偽を確認するためにいちいち立ち止まっていたら、日常生活を営むことが困難です。
職場でのルールや、身の処し方は、よくよく考えてみると理由や由来が分からない不合理なことが多いものです。
しかし、一日一日は何ごともなく無事に流れていきます。
いうなれば、「昨日と同じことを考え動いていれば、問題がない」という前例主義に従っています。
不確かな世界をこだわることなく生きていくことは、私たちに与えられた能力かもしれません。
朝礼に便利な言葉、「本当にそうだろうか?」
私たちは真偽がはっきりとしない世界で、真偽をはっきりさせることなく生きています。
個々の事柄を疑うことなく、そして真偽を検証せずに生活することは、ある意味では生きるための本能かもしれません。
そこでご提案なのですが、朝礼スピーチでは、
あえて「本当にそうだろうか?」というフレーズをおっしゃってみてはいかがでしょうか?
「うん、うん、私も気になっていたんだ」と共感なさる方や、
「そういわれてみれば、そういう見方もあるんだな」と納得なさる方がいらっしゃると思います。
【例】
世間では、〇〇と言われています。
(または、〇〇が常識だと私はいままで思っていました)
↓
本当にそうでしょうか?
↓
実は先日こんな体験をしました。
(または、こんなことを知人から聞きました)
↓
どちらが正しいかは分かりませんが、時にはいつもとは異なる方法を試しても良いと思いました。
(または、いつもとは異なる考え方や思いを持っても良いのではないかと思いました)
いかがでしょうか?
朝礼スピーチでぜひ試してみてください。