こんにちは。
今日も30度を超えるそうです。
それでもヨーロッパよりはまだ良いようです。
スペインから始まり、フランス、ドイツ、ベルギー、チェコ、スイスやイタリアは、
今週の中旬から来月初めにかけて40度を超えるのではないかと予測されているとのこと。
大西洋の高気圧が、アフリカ大陸からの熱風を引き付けているのが原因のようです。
今日は気温の日欧比較から書き出しましたが、
今回は、「差」について、身長差を例にして述べたいと思います。
身長差について
初対面の人と会った時、自分と比べて相手の背が高いか低いかが分かりますか?
ある化学関連会社の科学者が書いたサイトによりますと、
「自分よりも3cm以上高い、あるいは3cm以上低いとはっきりと差が分かる」
とのこと。
皆さんは、どれくらいの差があれば、相手が高いか低いかが分かりますでしょうか?
まずはおことわりを。
サイトにこの根拠は記されていませんでした。
また、他の研究機関の実験データを検索しましたが、見つけることが出来ませんでした。
したがいまして、以下に記すことは科学的根拠がないものとお考え願います。
なお、身長の差を判断するときに、
頭の頂点を見て判断することもあれば、近距離ならば視線(目の高さ)を見て判断することもあるでしょう。
したがいまして、ここでは目の位置を考慮せず、身長のみで話を進めていきます。
さて、さて、
この3cmの違いで、
相手と自分との身長差が認識できるというのは、驚きではありませんか?
仮に160cm程度の方同士でしたら、3cmはわずか1.875%の差にすぎません。
変な例えですが、地面に飛び散った豆粒が100個あるか102個あるかなんて、
ゆっくりと数えなければ認識できっこありませんね。
思ったのですが、
わずかの身長差に気付く理由は、
子どものころから、人との比較をする癖がついているのかもしれません。
特に数字で表しやすい事柄では。
例えば、テスト結果、体力測定、身体検査、運動会、、、、、。
高じては、営業成績、年収、ブランドなどなど。
先の化学関連会社のブログが挙げる例によりますと、
年配の女性は、同じ年頃の女性の和服の服地、帯、小物などに目が行くそうです。
「同じ」という点が比較のキーワードですね。
キリンさんや猫さんになりませんか?
さて、動物には、人の身長差をどのように認識しているでしょうか?
背が高いキリンや低い猫から見ると、一切差がないように見えることでしょう。
時には、キリンから見たらどうだろうか、猫から見たらどうだろうか、
という視点も必要ではないかと思いました。
(逆にキリンや猫は、人間が気にもかけないお互いの匂い敏感かもしれませんね。
「同じ」動物同士は、なにかと比較と違いに敏感なようです)
キリンの首はなぜ長いのか?
キリンの首の長さは、見事なくらいです。
なぜ、こんなに長いのでしょうか?
それは、顔が高いところにあるから、首が長くなったそうです。
(立川志の輔師匠の落語参考)
比較の指標は無数です
世の中には、無数の指標がありますね。
その一つ一つを気にしていたら、劣等感に包まれるかもしれません。
なお、かつてこんな話を聞いたことがあります。
「アメリカ人はランキング好きだ。何にでも順位をつけたがる。
競争社会だ。
だが、ランキングの項目(種類)がとても多い。
いくつものランキングで自分がビリであっても、ある一つのランキングで自分がトップならば堂々としている」。
今はアメリカでも日本でも生活格差が広がっています。
悲しくなる時があります。
「自分は自分でいい」という安定感を持ちたいものです。
こんなスピーチもいいかも
私は、同僚と比べると、これもダメだし、あれも上手く行きません。
特に毎月の営業成績発表の朝礼時が辛いです。
そんな日々が続くときは、週末に動物園に行くようになりました。
中でも猿山を見るのが好きです。
強いサルもいれば、逃げてばかりのサルもいますでしょ。
彼らにとっては、ナンバーワンでありたいと必死で頑張っていると思うのです。
でも、僕からすると、負けて逃げてばかりいるサルでも
餌を食べ山を走り回ることが出来ればそれでいいんじゃないかと感じます。
ダメな私ですが、逆にサルから見ればどうでもよいことのように見えるでしょうね。