ブログ初日に書きました掲示板。→「世界には不思議がたくさんある」
今朝、拝見すると、『人を救うと、自分が救われる』といった旨の文に変わっていました。
すぐに『情けは人の為ならず』を思い出しました。
今回は『情けは人の為ならず』と『人を救うと、自分が救われる』の違いについて考えを書きます。
『情けは人の為ならず』
『情けは人の為ならず』の意味を『デジタル大辞泉』には、
「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくるということ」
と書かれています。
掲示板の『人を救うと、自分が救われる』と『情けは人の為ならず』とは似たような意味だと思います。
ただ、私が気になりますのは、太字にしました「やがては」の部分です。
なお、他の辞典では、この「やがて」が次のように書いてありました。
・『日本国語大辞典 第2版(平成12~14年 小学館)』では、「めぐりめぐって」。
・『大辞林 第3版』と『ウイキペディア』では、「巡り巡って」。
・私の手元にある『明鏡国語辞典 初版第8刷2010.4)も「やがては」。
民話の「わらしべ長者」や「風が吹けば桶屋が儲かる」が、原因と結果に時間の隔たりがあるのと同様、
「やがては」には時間の経過の意味があります。
すなわち、「人に親切にすること」と「よい報いとなって自分にもどってくること」の間に、時間の経過があるのです。
経済に例えれば、
消費増税する→設備投資と個人消費が増税額以上に冷え込む→デフレが続く→実質賃金とGDPが伸びない
???
『人を救うと、自分が救われる』
一方の『人を救うと、自分が救われる』。
「人を救うこと」「自分が救われる」の間に時間の経過が感じられないのです。
言い換えますと、「人を救うこと」と「自分が救われる」ことが同時に起こっていると感じました。
さらに言い換えますと、「人を救うこととは、自分が救われることである」です。
「人を救うことは、自分が救われるということがその場で同時に起きている」とも言えます。
『情けは人の為ならず』と『人を救うと、自分が救われる』の違い
私の印象と考えを記します。
(国語や辞書や道徳や各種宗教とは違っているかもしれません)
・『情けは人の為ならず』
論理的
他者と自己を区別
中長期間
因果論
処世術
道徳的
・『人を救うと、自分が救われる』
感覚的
他者自己一体
その場その時限りの刹那
哲学的(あるいはスピリチャル・宗教的)
二者の違いを示すために、無理やり極端に書きました。
両者とも考えさせられる格言であります。
今日のカクテル
「救い」
・水・・・・・・・・・・50ml
・食用オリーブ油・・・・10ml
水と油が一体となるまで、10分間シェイクを続けること。